ヤーダー
No.15「 ヤーダー」(יָדָה)
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「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」(Ⅱ歴代誌20:21)
●「ヤーダー」には「(矢を)放つ、射る」から「ほめたたえる、感謝する、賛美する」という意味が派生します。名詞の「トーダー」(感謝)、ヤコブの第四子「ユダ」(創29:35)の語源ともなっています。ユダの王ヨシャファテの治世に、モアブ人、アンモン人・・のおびただしい大軍が攻めて来ました。まさに国家存亡の危機です。戦いに出陣するとき、ヨシャファテは、武装した者たちの前で主に向かって歌う聖歌隊を任命し、彼らに「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と歌わせました。その結果、おびただしい大軍は打ち負かされたのです(Ⅱ歴代20章)。まさに感謝と賛美は霊的な武器なのです。
●一口に「感謝」といっても、私たちの日々の小さな感謝と、神のご計画における一連の贖いの事実に対する感謝とでは、その次元は大きく異なります。主の勝利をもたらすほどの「感謝」とはどのようなものなのでしょうか。神の一連の贖いの事実を知ることは実に有益です。神のご計画は創世記1章1節の「はじめに」に啓示されているように、死者の中からよみがえられた初穂 (Ⅰコリ15:20)であるイェシュアによって、天と地、つまり神と人がともに住む家を創造することです。このためにイェシュアは受肉し、三十三年半の間、罪なき人として歩まれ、十字架の死による血潮を流すことで「最初のアダム」がもたらしたすべての呪いを釘づけにして終結させました。しかし、これらは贖いの半分です。後の半分は、イェシュアが三日目に復活し「いのちを与える御霊」となって(同15:45)私たちの霊の中に入ることで、私たちをキリストにある「新創造」(神の作品)としてくださったことです。
●そればかりか、イェシュアは昇天し天の御座に着座されて、すべての名にまさる名(イェシュアの御名)を与えられ、とりなしの務めをしておられます。今や天におけるキリストのとりなしと、私たちの霊の中における御霊のとりなしが同時になされています。天と地におけるとりなしの目的は、私たちが御子のかたちと同じ姿になるためです(ロマ8:29)。このために、三一の神による一連の贖いのすべてが不可欠なのです。それは神が私たちのただ中に住まわれるだけでなく、神のすべてを私たちが享受するためです。以上のことを知るならば、神に感謝する以外になすべきことは何一つないことを悟らされるのではないでしょうか。
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