****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

マナ(マーン)

No.9「マナ(マーン) 」(מָן)

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「イスラエルの家は、それをマナと名づけた。」(出16:31)

●出エジプトしたイスラエルの民は、葦の海の乾いた地を渡って荒野に導かれました。なぜ荒野なのかと言えば、荒野を意味するヘブル語の「ミドゥバール」が「神の声を聞く場所」という意味だからです。マラでは、「苦い水」に一本の木が投げ入れられたことで「甘い水」に変えられました(15:25)。それは彼らに、神の「掟」(ホーク=神のご計画)と「定め」(ミシュパート=神の支配)に生きることで快い歩みとなることを教える奇蹟でした。その一つのあかしが、エリムでの「十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木」(15:27)です。

●エリムを旅立った彼らは、シンの荒野で不思議な食べ物(マナ=ヘブル語は「マーン」)が与えられます。これは人を生かすための「天からのパン」で、荒野を旅する彼らに40年の間与えられました。それは単に荒野で生存の保障が与えられたということではありません。マナの奇蹟は、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、分からせるため」のものでした(申8:3)。驚くべきことに、「主の御口から出るすべてのことばで生きる」とは、神のことばの中に隠されている神のご計画とみこころ、みむねと目的を完全に悟って生きることなのです。

●マナの出来事は預言的です。なぜなら、そのことが文字通りに実現される時がやがて来るからです。教会にとってはキリストの空中再臨時の携挙によって、またイスラエルにとってはキリストの地上再臨の時に、神の民は新しい霊と心と栄光のからだが与えられ、御国(メシア王国)において完全に神のことばと一つになって生きる者とされるのです。このことを指し示しているのが「マナの奇蹟」です。しかし、この奇蹟と次の「岩から出る水の奇蹟」(出17章)とが一つとなって、完全に実現することを忘れてはなりません。

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